大判例

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宇都宮地方裁判所 昭和56年(わ)323号 判決

主文

被告人両名をいずれも禁鋼二年六月に処する。

被告人小黒太平に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人萩原隆一に支給した分を除くその余を被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人小黒太平は栃木県塩谷郡藤原町大字川治四五番地所在の観光旅館「有限会社川治プリンスホテル」の代表取締役であり、被告人小黒雅代は同社の取締役である。被告人小黒太平はドライブイン等を経営する傍ら昭和四六年栃木県川治温泉の金龍閣ホテルを買収し、翌四七年四月ころこれを川治プリンスホテルと改称するとともに右有限会社川治プリンスホテルを設立して代表取締役に就任し、同時に妻である被告人小黒雅代を取締役に就任させ、以後被告人両名において共同して右ホテルの経営管理業務を統轄掌理してきたものである。同ホテルは逐次増改築を重ねたが、本件火災当時、鉄骨木造亜鉛メッキ鋼板葺一部陸屋根五階建(客室は四階までで、五階はボイラー室、延床面積1537.22平方メートル)の通称旧館と木造一部鉄骨亜鉛メッキ鋼板葺一部瓦葺新館二階建(延床面積1469.878平方メートル)の通称新館とが接着し、一階二階の各中央部が連絡通路によつて結ばれた構造となつていて、宿泊収容人員数約二五〇名、従業員数約三〇名の規模のホテルとなつていた。各建物の配置関係、内部の間取り等の概要は別紙(一)図面のとおりである。右建物のうち新館は木造建築物で、同建物から火災が発生した場合火の回りが早く、旧館二階との連絡通路を経て火災が拡大し、同館内の多数の宿泊客及び従業員らの生命、身体に危害が及ぶおそれが極めて大きかつたのであるから、右経営管理業務の一環として、かかる事態の発生を未然に防止すべく何らかの理由による万一の火災発生の場合に備え、右宿泊客らを安全確実に避難させうるよう、あらかじめ火災報知ベル作動時における火災発生の有無、出火場所及び状況の確認、宿泊客への通報及び避難誘導等の担当者、手順等に関する計画(消防法の用語によれば消防計画という)を作成し、これに基づき避難訓練を実施してこれを従業員間に周知徹底させておくべきであるとともに、火災の拡大を極力防止しうるよう建築消防関係法令に従い右連絡通路部分に煙感知連動式の甲種防火戸を設置し、かつ旧館二階ないし四階の中央及び西側の各階段部分を防火区画とする等の措置を講じておくべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠つた過失により、昭和五五年一一月二〇日午後三時ころ同ホテル婦人風呂南側外の旧露天風呂用地において同所に設置されていた鉄柵をアセチレンガス切断機によつて切断する作業に従事していた人夫星隆一が、その不注意により右切断機の炎を右婦人風呂外壁の間隙に流入させて同所付近から火災を発生させた際、従業員をして宿泊客らに対し適切な通報、避難誘導をさせることができず、右婦人風呂から発した火煙を短時間かつ容易に同ホテル旧館二階ないし四階の各階段、廊下等に流動まん延させ、火災発生に気付くのが遅れた同階の宿泊客及び従業員らの多くをして、前記中央階段、西側階段ないし屋外の非常段階を通つて外部に脱出することを困難にさせ、逃げ場に窮せしめて多量の煙、一酸化炭素等を吸引させ、あるいは前記新館屋根等に飛び降りるのやむなきに至らしめ、よつて、別紙(二)死亡者一覧表記載のとおり、宿泊客大谷とくら四一ママ名及び従業員井上トシ子ら三名をして、そのころ、同ホテル内において、一酸化炭素中毒により、宿泊客小倉朝次郎をして、同日午後一一時三五分ころ、同町大字大原一三九六番地川村医院において、三階客室から飛び降りた際に受けた全身打撲症等の傷害に基づく急性心不全によりそれぞれ死亡するに至らせたほか、別紙(三)負傷者一覧表記載のとおり、宿泊客栗原きよら二二名に対し、それぞれ各傷害(その原因につきなお後記「当裁判所の判断」第一の二3参照)を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(当裁判所の判断)

(証拠について、証人の当公判廷における証言と証人の尋問調書とを区別せず、すべて証人何某の証言として引用する。)

第一  本件火災の状況

前掲関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

一本件火災当時における宿泊客らの状況

昭和五五年一一月二〇日当日の宿泊客としては、旧館四階及び二階には当日到着した東京都杉並区の老人会高南長寿会の団体客五五名(うちバス運転手、ガイドら三名を含む。)、同館三階には前日から宿泊している同区の老人会成一長寿会の団体客五三名、新館二階には一般客ら五名がいた。被告人小黒雅代(以下「雅代」という)ほか一七名の従業員らが、フロント、フロント事務室、配繕室厨房等で勤務しあるいはその準備をしていた。その他ホテル南東広場付近に大工ら約七名、南西旧露天風呂敷地内に有限会社秋山建設の作業員五名がそれぞれ作業に従事するなどしていた。

二  出火状況等

1出火原因

有限会社秋山建設は、川治プリンスホテルから同ホテル出入りの大工香取久四郎を通じて同ホテルの婦人風呂拡張に伴う右旧露天風呂の取壊し工事を請負い、昭和五五年一一月一九日から右工事に取掛り、翌二〇日は星隆一ら五名の作業員を派遣して作業を実施した。星は以前からガス溶接、溶断作業に従事していた者であるが、香取から旧露天風呂敷地内に設置してある鉄柵を切断するよう指示され、アセチレンガスボンベ、酸素ボンベ、吹管等を準備したうえ、同日午後一時三〇分ころから、右現場において、アセチレンガス切断機を使用してまず南崖側の鉄柵を切断し、次いで婦人風呂南窓外側の鉄柵の切断に取掛つた。右鉄柵は婦人風呂南窓の目隠し用スレート板を支えるもので、L字型鉄骨を素材とした五本の縦アングルと四本の横アングルとで構成されており、高さ約1.79メートル、長さ約2.5メートルであつた。婦人風呂の窓に向かつて右端の縦アングルは、婦人風呂外壁に近接してこれとほぼ平行に立ち上がつており、他の縦アングルは西方向に行くに従い広がつており、最先端部は外壁から約1.43メートル離れている。婦人風呂南側外壁はラスモルタル仕上げで、幅約五メートル七〇センチあり、高さは約三メートル一五センチであるが、その西角に四枚のガラス引戸からなるアルミサッシ窓があり、この窓の縦外枠は高さ約1.32メートルで内側に二本引戸が入る溝があり、溝の外側端には厚さ約1.3センチメートル、幅約3.5センチメートルの外枠押えのアルミサッシ板が外枠から出て外壁モルタルと接着しかつ内壁、間柱面とも接合して壁境となっていた。ところが東側縦外枠に接する外壁モルタルが液状に崩壊し、その先端表面には凹凸状になつていたため、外枠押えと外壁先端部に約1.3センチメートルないし約三センチメートルの隙間が生じ、外壁の内側には木ずりの先端が露出していた。そして前示目隠し用鉄柵の右端の縦アングルはこの隙間部分に約1.9センチメートルの間隔で近接していた。

星は同日午後二時四五分ころ、まず右端の縦アングルと最下段から二本目の横アングルとが接合している箇所を見たところ、ピースと呼ばれる厚さ約三ミリメートルの逆L型鉄片で溶接されていることに気付き、付近にあつた石で叩いたがはずれなかつたため、アセチレンガス切断機を使用して右ピースを切断しようと考えた。同箇所はモルタル壁に近接しているため、飛び散る炎等で危険だと思い、同壁をハンマーで叩いて厚さを確かめるうち壁とアルミサッシ窓枠との間に前示の隙間があることに気付き、ガス切断機の吹管からの炎や炎による高熱等が右隙間から壁体内に入つて木ずり・柱等に着火して火災となるかも知れないと考えたが、短時間でピースを切断できると思い、その隙間に炎等が入るのを防ぐため鉄板等をあてることなく、同日午後二時五〇分ころピース切断を開始した。星は中腰の状態で吹管を握り、炎の長さを約一六センチメートルに調節して、ピースを手前に向かって切断した。この間約一五秒ないし二〇秒であつたが、摂氏二〇〇〇度を超える炎やその高熱が右隙間から壁体内に流入し、柱、木ずり等に着火し燃焼を始めた。そして火は壁体内を上昇しつつ婦人風呂屋根裏に達し、同所の野地板から天井に燃え移つてこれが燃え抜け、午後三時二〇分前後ころには右屋根裏に接着していた新館二階への階段の天井及び側壁が燃え抜けてフラッシュオーバー現象が起り、大量の煙が流出し、右階段部を上昇して新館二階廊下を東方向に進み、新館と旧館との接合部である連絡通路を経て旧館に流入し、旧館中央階段及び西階段を上昇して、三階、四階に流動まん延し、これに続いて火炎が広がり延焼していつた。

2従業員らの火災覚知の状況

(一) 川治プリンスホテル内には自動火災報知設備があつた。すなわち旧館及び新館の各客室、廊下等の天井等に二八四個の煙感知器ないし熱感知器が設置され、以上の各感知器は二〇の警戒区域に分かれ、いずれの警戒区域内で火災が発生した場合でもその区域内の感知器が火災を覚知し、フロント事務室内奥西側壁に設置された自動火災報知設備受信機にその火災発生区域を示す地区表示灯(受信機表面の窓部分)が点灯して火災発生区域を知らせるとともに受信機の上方に取付けられている非常ベル(主ベル)及びホテル内の九か所の消火栓ボックスの非常ベル(地区ベル)が同時に鳴動して全館に火災の発生を自動的に知らせる仕組になつていた。大浴場(男子風呂)、婦人風呂、各脱衣室及びその付近にはそれぞれ天井または天井裏に合計六個の熱感知器が設置されており、これらは受信機に「大浴場」と表示される一の警戒区域をなしていた。

(二) 本件火災は右六個の感知器のうちのいずれかによつて覚知され、午後三時一二、三分ころ(この時刻は、角田エイの証言と関連証拠による。)受信機の「大浴場」を示す地区表示が点灯するとともに主ベル、地区ベルが一斉に鳴動した。ベルの鳴動を聞いた被告人雅代及び後記日根野を除く他の従業員は一様に、これまでも感知器が誤作動し非常ベルが誤報したことがしばしばあつたため今回も誤報であると思い込み、火災発生の有無を確認するための行動をとらなかつた。フロント事務室にいた会計課長渡邉邦夫も同様に当日は大工らがホテル内で作業をしていたこともあつて誤報であると思い込み受信機に表示された「大浴場」に赴いて火災発生の有無を確認するのを怠り、受信機のスイッチを切ってベルの鳴動を止めるとともに同室内にいた予約係佐藤常喜に指示して右非常ベルは試験中である旨館内放送させ、その後右スイッチを入れたところ再び鳴り出したため、フロントから同室内に入ってきたフロント係山中四郎に指示して右スイッチを切って再度ベルの鳴動を止めた。しかし前日着任したばかりで、那須観光事業社グループ本部事務室にいたホテル部長日根野はベルの鳴動を聞いて直ちにフロント事務室に行き、渡邉から点灯している地区表示の場所を確認し、大浴場に赴いて脱衣室のドアを開けたが、異常がなかつたため、一旦フロント事務室前まで戻つて来たが、受信機には「大浴場」を示す地区表示が点灯し続けているのを知り、誤報ではないと考えて再度火災発生の有無を確認するため大浴場へ向かつた。ホテル内で新館二階渡り廊下の取付工事等に従事していた大工香取久四郎は、仲間の大工とともにホテル南東広場付近で午後三時の休憩中にベルの鳴動を聞き、当日の午前中に婦人風呂脱衣室の東南隅に接している旧露天風呂脱衣室の取壊し作業をしたことから、その影響で感知器が誤作動したのではないかと思い、小走りで同脱衣室に行つたが同室には異常が認められなかつたので、フロント事務室へ行き、「今のベルはどこで鳴つたんだ。」と尋ね、渡邉から大浴場である旨聞いて、再び同所に赴き、婦人風呂南側の旧露天風呂敷地の星らの作業現場に行き、同人らに「おめえら何をやらかしたんだ。」と怒鳴りつけたが、そのとき婦人風呂脱衣室南側の外ドア付近で同室南側軒下から青白い煙が出ているのを発見した。その時刻は午後三時一四、五分ころである。香取は火災ではないかと思い、小走りでホテル南東広場付近で休憩中の大工生海繁美、佐藤昇らの所へ戻り、同人らに「みんなちよつとおかしいから来てくれ。」と声を掛け、同人らの先に立つて婦人風呂脱衣室付近に向かつたが、その際前記日根野もこれに同行した。そして同人らが同脱衣室に入つたところ、天井から火がちらちらと出ているのを発見し、消火にあたるべく、付近にあつたホテル備付けの消火器数本を手にしたが消火剤が出ないものもあり、また大浴場入口に設置されていた消火栓ボックスを開けたがホースがなく、旧館一階大広間の消火栓からホースを取り出したが、設置工事業者の電気系統の配線ミスのため水が出ず、やむなく浴場内の湯をバケツに汲んで消火しようとするなどし、また厨房から駆け付けた従業員本間喜久治、室橋正士、小坂文雄らもこれに協力し、大浴場、婦人風呂及び各脱衣所等で入浴ないし着替中の客に避難するよう告げるとともに厨房の消火栓からホースを引くなどしたが、水は出なかつた。間もなく婦人風呂脱衣室前廊下から新館二階へ上がる階段付近の天井及び側壁が燃え抜けて、火炎が吹き出すとともに大量の黒煙が二階廊下に立ち込めるようになつたため、消火作業が困難な状況となり、右の者らはホールの方等へ退去するに至り、同所付近でそのころ到着した消防車の放火作業に協力するなどした。この間生海が旧館の客を避難させるべく、新館二階と旧館二階の連絡通路を通つて新館三階に上がつたが、次第に黒煙が濃くなつてきたためそれ以上進めず同階階段の踊場付近で宿泊客に向けて「火事だから逃げろ。」と怒鳴り、避難して来た同階の客四、五人を右連絡路を通つてホールまで誘導した。また接待係関根ミチ子、大島トシらは、大浴場、婦人風呂から脱出して来た客らを誘導してホール等へ避難させた。一方旧館二階へ客を案内していたフロント係鈴木民夫は、同階二一八号室の窓越しに多量の白煙を発見して火災の発生を知り、発生場所を確認するため右連絡通路まで行つたところ、大浴場の方から大量の黒煙が流れてきたため、直ちに付近の館内電話でフロントへ架電したが電話に出る者がなく、やむなくフロント事務室へ行き、未だ火災発生に気付いていなかつた渡邉、佐藤らにこれを告げるとともに藤原町消防署に火災が発生した旨を一一九番通報した。その後鈴木は、旧館の客を避難させるためホールから新館二階へ上がつたが、廊下に多量の煙が立ち込めて進むことができず、戻つてフロント係山中四郎とともに旧館外側の非常階段を三階まで昇り、非常口のドアを開けようとしたが開け方を誤つたため開けることができず、ドアのガラスを割つたところ、煙が吹き出してきたので客の誘導をあきらめそのまま階下へ降りた。その他従業員による旧館の客に対する避難誘導はなされなかつた。そして従業員、大工香取らは、新館二階の屋根に昇るなどして避難できなくなつた旧館の客らの救助にあたつた。

3旧館の宿泊客らの避難状況等

(一) 浴場の状況

大浴場(男子風呂)、婦人風呂及び各脱衣室には、各老人会の客男三名女四名が入浴ないし着替中であつたが、婦人風呂脱衣室天井から出ている炎ないし火災発生を知らせる人声などでいずれも火災発生を覚知し、右の者のうち高南長寿会会員小林武(旧館四階四〇二号室に宿泊)、成一長寿会会員堀内まき(同階三〇一号室)は同室者らにこれを知らせるべく右各自室に戻り、他の者は直ちに同所からホール等に避難したが、同会会員園部賢三は大浴場の窓から崖下に飛び降りる際に負傷し、同田中は婦人風呂から出て三〇一号室の自室に戻ろうとしたがその途中新館二階廊下で煙に巻かれて失神して火傷を負つた。(右両名の傷害の具体的内容は別紙(三)のとおりである。)

(二) 旧館二階の状況

高南長寿会の団体客とともにホテルに到着した東都観光のバス運転手斉藤幸治は、旧館二階二二一号室の自室前付近で二二三号室前の天井付近のもやもやした煙に気付き、不審に思つて大浴場に行つたところ煙が出ているのを発見して火災発生を知り、従業員に知らせようとしたが見当らないため、大浴場及び婦人風呂の入浴客数名に避難するよう声を掛け、脱衣室で動けなくなつている客一名の手を引いて大浴場前段階を上がつてホールまで誘導したが、右段階を上がるときには同所の側壁が音を立てて破れ、炎が吹き出す状況であつた。そして同僚のバスガイド木原ハルエ、株式会社東洋観光の添乗員川城茂の姿が見えないため、同人らの客室がある旧館二階に赴き中央段階付近まで行つたところ、電気が消えるとともに炎と煙が流れてきたのでそれ以上進むことができず、這うようにして同所から戻り連絡通路を経てホールまで避難した。逃げ遅れた木原及び川城は二一八号室前廊下で、同階中央階段脇の従業員室にいた従業員力丸ルリ子は同室内で、同八島ヨシ子及び井上トシ子は同階でそれぞれ焼死(鑑定書によれば一酸化炭素中毒死であるが、通俗の用語に従い焼死という。以下すべて同じ。)した。二二二号室にいた高南長寿会会員芝田さくら三名は非常ベルの鳴動を聞き不審に思つたが、前記のような、試験中である旨の館内放送を聞いて一旦安心し茶を飲むなどするうち、同室入口のガラス戸が赤くなり、戸を開けたところ真黒い煙が入つてきたため、火災発生を知り、同室北側窓から隣家の屋根伝いに逃げて避難したが、その際芝田は別紙(三)判示の負傷をした。

(三) 旧館三階の状況

火災発生当時には入浴中の男一名、女三名を除く成一長寿会の宿泊客男一六名、女三三名が各自室等でテレビを見たり茶を飲むなどしていた。三〇九号室でテレビを見ていた同会世話役茶木三郎(五五歳)は午後三時一八分ころ、非常ベルの鳴動(二回目のもの)をかすかに聞いたものの電気工事の音ではないかと考えてさして気にも留めずにいるうち、同室北側窓の外が暗くなつてきたため同室者で同会会長藤井光秋、新井秀とともに窓を開けて外を見たところ、旧館西方北角の方から真黒い煙が上がつてくるのを発見し、同じく三〇七号室の窓から顔を出した石井政吉と火事ではないかなどと話し合つた後、茶木、新井が同階廊下に飛び出して「火事だから何も持たずに逃げろ。」などと数回怒鳴つた。新井は直ちに中央階段を二階に降りたが、新館二階との連絡口付近から煙が吹き上げてきてそれ以上進めないため三階に戻つて茶木らに「駄目だ。」と怒鳴つた。一方茶木は同階廊下東端の非常口に気付いて駆け寄つたがドアのノブが空回りして開かないので、体をぶつけて押し開け、新井、藤井及び茶木らの火事触れを聞くなどして廊下に出てきた七、八名の者とともに非常階段を降りて避難した。その他の者は非常ベルの鳴動、茶木らの火事触れ、婦人風呂から戻つてきた前記堀内の通報、発生した火や煙等からそれぞれ火災発生を覚知し、避難しようとしたが、廊下には既に多量の黒煙が立ち込め、各室の廊下への出口からの脱出は困難であつたため各室の窓から新館二階の屋根や隣家の屋根等に飛び降り、あるいは救助に当たる従業員、香取ら大工等が窓に掛けてくれたはしご等を使用するなどして避難した者もあり、脱出できず各室内ないし廊下等で焼死する者もあつた。

村田フミ、柳田エツ、矢野スエコ、石井政吉は旧館三階で、五十嵐千野、後和琴子、遠藤サイは同階三〇一号室前廊下で、佐野タマ、石原ミヨ子は三一〇号室内でそれぞれ焼死し、小倉朝次郎は三一〇号室東側窓から飛び降りる際に負つた全身打撲の傷害に基づく急性心不全により収容先の病院で死亡した。矢野正勇、田中鋹雄、勝又常雄、木村初子は客室等から隣接建物の屋根等に飛び降りたことにより、鈴木さと、清水ナヲ、尾家交野、田中くまは熱風、火煙を直接身体に受けたことにより、角田エイはその両方の理由によりそれぞれ別表(三)判示のような負傷をした。

(四) 旧館四階の状況

火災発生当時には高南長寿会の宿泊客男一二名、女三四名が各自室等でテレビを見たり茶を飲むなどしていた。四〇七号室の自室で茶を飲んでいた同会会長山木春雄は非常ベルの鳴動を聞き不審に思つて北側窓を開けたところ、左下方から茶黒い煙が立ち昇つているのを発見して火災発生を知り、直ちに自室の戸を開けて廊下に向かつて三回位大声で「火事だ。」と怒鳴つた。そして一旦自室内の手荷物を手に取り、廊下に出ようとしたところ、室の入口から刺激臭のある煙が多量に流れ込んできたため同所からの脱出をあきらめ、同室の同会副会長高橋実雄とともに同室窓脇の樋を伝わって地上に降り避難した。同室の小林良平も同時に火災発生を知り、山木、高橋らより一足早く同室を出たところ同階西階段から黒い煙が上がつてきたので、ホテル到着時に確認していた廊下東端の非常口へ向かつて煙の中を走り、体当りで戸を押し開け、非常階段を降りて避難した。その他の者は非常ベルの鳴動、山木らの火事触れ、大浴場から戻つてきた前記小林武の通報により、あるいは発生した火や煙等から、それぞれ火災発生を覚知し避難しようとしたが、三階と同様に廊下には既に多量の黒煙が立ち込めていたため、各室の窓から救助者が掛けてくれたはしごを利用しあるいは直接隣接建物の屋根や地上に飛び降りるなどして避難した者もあり、逃げ遅れて焼死した者もあつた。

大谷とく、中尾シマ、渡邉はる、渡邉吉野は四〇一号室内で、関根政次郎、泉傳壽一は四〇三号室内で、小林トミ、妻木タヅヨは四〇五号室内で、三輪シゲ子、山本さくは四〇六号室内で、森ワカ、関口美春、大阿久フサ、小澤トリは四〇八号室内で、野村又次郎、野村マサエ、若月金平、若月ヨネ、猪笹のぶは四〇九号室内で、江﨑百合子、山川久め、牟田ハル、中島スイノ、片山ための、重光ひで子、福井きく、藤森よ志子は四一〇号室内で、松岡マンヨは四〇八号室前廊下で、伊藤弼郎、小林清貴は四階でそれぞれ焼死した。栗原きよ、小林武、山田豊次、佐山テイ、小暮ケイ、花澤芳江、山木貴代は窓から隣接建物の屋根等に飛び降りたことにより、青木誠四郎、北見る、中尾圓太郎は避難の途中、熱風、火煙を身体に受け、あるいは吸入したことにより、それぞれ別表(三)判示のような負傷をした。

三  鎮火状況等

藤原町消防団第六分団は、同日午後三時三二分ころ本件火災を望見した分団員の通報により本件火災発生を覚知し、同分団員が午後三時三六分ころホテルに到着して放水を始め、一方同町消防本部は、午後三時三四分ころ前記フロント係鈴木民夫からの一一九番通報により直ちに出動するとともに隣接市町村の今市市、塩谷町等に出動方を要請し、午後三時五〇分ころホテルに到着して放水を開始した。消火及び救助のために出動した消防車両及び台数は、藤原町及び今市市の各消防本部関係では、ポンプ車二台、梯子車、救助工作車、救急車、指令車及び連絡車各一台、人員四二名であり、消防団及び民間消防隊関係では隣接市町村の応援をも含め、ポンプ車一五台、積載車付小型動力ポンプ車一二台、人員三九五名であつた。本件火災は午後六時四五分ころ鎮火し、ホテル旧館及び新館をほぼ全焼し、前記のとおり宿泊客及び従業員のうち四五名が死亡し二二名が負傷したほか建物、什器備品及び宿泊客らの所持品等合計約八億二二七七万八八七五円相当の物的損害が生じた。

第二  被告人両名の注意義務違反について

一  注意義務の根拠

被告人両名の弁護人は被告人両名は有限会社川治プリンスホテルを含む、観光業、流通業を含む一〇の事業体からなる那須観光事業社グループ全体の経営の指導及び統括を行い、各事業体には店長を置き同人をしてその経営に当たらせていたものであり、川治プリンスホテルにおいては支配人(店長)である原口将臣にその経営全般を任せていたのであつて、被告人両名はホテルの経営には直接的に関与しておらず、特に被告人太平は本件火災当時は殆ど実質的なホテルの経営に関与していなかつたもので消防法上の「管理権原者」に該当せず、被告人雅代はこれに該当するとしてもホテルの防火防災業務を一切原口に任せていたのであるから同人が実質的な「防火管理者」として本件火災につきその責任を負うべきであり、結局被告人両名につき判示認定のような注意義務が課せられることはない旨主張する。

前記関係各証拠によれば、被告人太平は有限会社川治プリンスホテルの代表取締役であるほか那須観光事業社グループと称する同ホテルを含む一〇の事業体(法人)の代表取締役あるいは取締役を兼ねており、各事業体を支部と称しこれに店長ないし支配人と呼ばれる責任者を自身で任命し、同人らを月一回同ホテル内の本部事務室で開かれる幹部会議に出席させて各事業体の売上目標、達成率等を報告させ、これが不十分の場合は種々の経営方針を指示するなどして右各事業体を経営していたこと、川治プリンスホテルについては昭和四七年ころ、買収した金龍閣ホテルの名称を改めて被告人雅代を取締役にし、自身は代表取締役となつて(取締役は被告人両名のみ)営業を開始し、当初はその経営に熱意を燃やし、自身で業者に発注して露天風呂の設置等設備改善を積極的に進めたが、昭和五四年ころから川治温泉地区におけるホテル経営の先行きが暗く、また他に経営するドライブインの業績が順調なことなどもあつて、次第にホテル経営の意欲を失つていたこと、一方被告人雅代は川治プリンスホテルの拡大発展に強い意欲を持ち、右のとおり被告人太平がこれを失うに従つて経営を任される形になり、同ホテルの改築等の出費に消極的になつていた同被告人の意向を無視して昭和五四年ころから、知事公舎移築、玄関フロント新築、新館新築等の宿泊設備の充実改善を自身で積極的に行い、同被告人は事後にこれを追認する状態となつていたこと、同ホテルには営業当初から支配人が置かれしばしば交代したが、昭和五四年一月ころからは次長ないし店長と呼ばれる原口将臣がその地位にあり(なお本件火災前日にはホテル部長として同人の上司となる日根野茂が責任者として着任し、これを不満に思つた原口が本件火災当日同ホテルを無断で退職した。)、これらの人事は、被告人雅代の経営手腕に疑念を抱いたこともあつて、被告人太平が一貫して行つていたこと、右支配人は前記幹部会議に出席して営業成績等を報告し被告人太平から営業方針につき指示、命令を受けることとされており、同被告人が原口にフロント要員にも顧客を獲得させるよう指示するなどしたこともあつたこと、しかし原口は計数に暗く、営業成績の把握が不十分であつたことなどから次第に幹部会議に出席しないようになり、同被告人がホテルを空けることが多いことから常時ホテルで執務する被告人雅代から指示、命令を受けるようになつたこと、そして原口を含め支配人の権限は明確に定められてはいないが、前記のような改築工事を行う権限はないばかりか、日常の備品購入等少額の出費はともかく、それ以上の出費を伴う場合は経理を統轄する被告人雅代の承認を得、一般従業員の採用、給与の決定等も最終的に同被告人の承諾を得ていたこと、同ホテルは消防法八条に定める防火対象物に明らかに該当し、防火管理者の選任及び各種防災設備の設置等が義務付けられているところ、昭和四七年から昭和四九年ころまで支配人を勤めた栗原文夫の他は防火管理者に選任された者はなく、右原口のごときは、防火防災業務の管理運営を明示的に任されていないばかりか、被告人雅代から命ぜられてホテル内の業務を行うよりも宿泊客の獲得に努めていたことが認められる。

以上の事実によれば、被告人太平は那須観光事業社グループ全体を統括していたにとどまらず、川治プリンスホテルの代表取締役として同ホテルの経営、管理事務を掌理統括する最高責任者であり、昭和五四年ころ以降は、同ホテルの経営に積極的でなくなり、被告人雅代にこれを任せ勝ちであつたという事情はあるにせよ、そのことから直ちに被告人太平が右の地位を去つたものとは到底認められず、また被告人雅代は取締役として同太平とともに同ホテルの最高責任者であり、特に昭和五四年ころからはむしろ被告人太平より積極的に同ホテルの経営に携わつてきたものと認められる。そして防火防災業務がホテルの経営管理の一分野であることはいうまでもないから被告人両名は消防法八条一項にいわゆる「管理権原者」に該当するのはもとより、同ホテルに宿泊する客や従業員ら多数の者の生命、身体の安全を確保するため防火防災の面で万全の対策を講ずべき一般的な義務を負うことは、条理上から言つても当然であり、右の義務は刑法上の注意義務であるということができる。そしてこの義務は消防法規の定める防火管理者の選任の有無とはかかわりないものであるが、なお消防法八条に関していえば、同ホテルでは少くとも昭和四九年以後は防火管理者は選任されておらず支配人原口にしても、実質的にその地位にあつたものとも認められないから、被告人両名が右管理権原者としての義務を一部なりとも免れるとは到底解し得ないところである。右注意義務の具体的内容については、次項で検討する。

二  注意義務の具体的内容、その前提としての予見可能性

弁護人は、判示認定の注意義務の存在を争つているので、以下に右認定の理由を説示する。

1消防計画、避難訓練等について

一般に、多数の客を収容させる旅館、ホテルにおいては、その経営者は人命の安全を保障する責務を有するものであることは、前述したとおりであり、他方火災の発生の危険は常に存在するものであつて、一旦火災が起れば、覚知の遅れ、初期消火の失敗等から本格的火災に発展し、逃げおくれた客に死傷の危険が及ぶおそれがあることは、見易い道理であつて、刑法上の注意義務の根拠としての予見可能性は、右の程度の危険性の認識の可能性をもつて足りると解される。

そこで、右のような危険な結果を回避するため、経営者は予めできる限りの方策を、一個だけでなく、確実を期して幾重にも講じておくべき義務があるところ、右の危険の防止策の一つとして、火災警報装置(本件ホテルにはその備えつけがあり、正常に作動していたことは前認定のとおりである。)のベルが鳴動した際における火災発生の有無(換言すれば誤報かどうか)、出火場所及び出火状況等の早期確認、宿泊客等に対する早期通報、適切な避難誘導の実施等が有効かつ必要不可欠である(本件の具体的状況下におけるその有効性については、のちに因果関係の項に判示するとおりである)とともに、平生からその手順、役割分担など(消防計画)を定め、実地に訓練を実施して従業員間に周知徹底させておかなければ、突発事態に際して適切な行動を期待し難いのであつて、このことは、消防法八条の規定をまつまでもなく(右規定が存するからにはなおさらのこと)、ホテル経営者として当然心得ておかなければならない常識というべきであるから、かかる措置を講じておくべき義務は、まさに刑法上の注意義務にほかならないと解される。もつとも右消防法八条は、直接には、「管理権原者」に対して、防火管理者を選任し、右管理者をして消防計画を作成させ、避難訓練等を実施させることを義務づけるものであるが、本件のように防火管理者が選任されてない場合に、右計画の作成等をしなくてもよいことになるいわれはないから、防火管理者がなければ、経営者が自らもしくは然るべき幹部職員に命ずるなどして、右措置を講ずべきであると解される。

2防火戸、防火区画の設置義務について

本件のような大規模な建物の火災においては、内部に在る者の生命身体に危険を及ぼす原因としては、火災ないし火熱もさることながら、煙が重要であつて、急速に通路部分(階段を含む)に流入充満する煙によつて退路を断たれ、あるいはこれを吸入することにより呼吸困難に陥り行動の自由を失つて遂に焼死するに至るという例が多いこと、火災も亦通路部分を経て延焼し火災が拡大するものであること等は、本件当時においても充分知られていた事がらであり、殊に本件においては、新館は木造建築であつて一旦火災となれば火の廻りが早く(旧館は外壁は耐火性素材)、火煙が連絡通路部分から旧館内に流入し延焼する危険が大きいのであつて、以上のようなことは通常人において充分予見可能であつたということができる。

そこで右危険に対する回避策について考えるにあたり、先ず建築関係法規を見るに、本件ホテル旧館は建築基準法二七条一項一号別表第一(二)にいう「三階以上を旅館の用途に供する特殊建築物」であり、木造の新館(昭和五四年に新築に着手)と連絡通路で接続されているのであるから、同法二条九号の二、同法施行令一〇九条一項、一一〇条、一一二条九項、一三項、一四項、昭和二六年三月六日建設省住防発一四号通達「部分により構造を異にする建築物の棟の解釈」、昭和四八年一二月一〇日同省住指発九〇〇号通達(右一四号通達の一部改正通達)によれば、前記連絡通路部分に煙感知連動式甲種防火戸を設置し、旧館内の中央及び西側の各階段部分を耐火構造の床もしくは壁又は甲種もしくは乙種防火戸で防火区画しなければならないこととされている。これは、前述のような火煙の流入延焼を防止する上で、防火戸や防火区画が大いに有効(本件状況下での有効性は、因果関係の項に判示するとおり)であるからこそ、右法規がその設置場所等について、右のような基準を設定し、その実施を要求しているのであると考えられる。従つて、右法規に従い、防火戸、防火区画を設けることは、旅館経営者にとつて単なる行政法規上の義務にとどまらず、刑法上の注意義務であるということができる。

もつとも建築、防災関係の専門家でない被告人らに、右法規の内容を逐一具体的に認識することを要求するのは、難きを強いることになるとも考えられるが、本件においては、関係証拠によれば、ホテル内の建物の接合部に防火シャッターが設置されており(一部撤去されたものもある。)かつ昭和五四年の玄関フロント新築工事の際に煙感知器連動式甲種防火戸が設置されこのことを被告人両名は認識していたこと、前記那須観光事業社グループ中のドライブイン店舗内に同防火戸が設置されており、このことも被告人太平は認識していたこと、昭和五四年一二月一〇日ころ藤原町消防署の立入り検査を受けて同署員から前記防火戸及び防火区画の設置方を指摘され、被告人雅代は同検査に立会つた原口からその報告を受けつつホテル内を見て回りその後同消防署から送付された書面により指摘事項を確認したことが認められ、(もつとも、昭和五〇年九月三日のいわゆる合同査察――新旧館接合部の防火戸、旧館中央階段の防火区画等の必要性が指摘された。――に被告人太平が立会つたかどうかは証拠上判然としない。しかし右のように、その後同被告人も防火戸等の必要性を認識する機会が何回もあつたのである。)これらの事実によれば被告人両名はその認識の程度に差はあるものの、いずれも右防火戸及び防火区画の必要性、有用性及びこれを欠く本件建物の防災上の不適格性を少くとも概略的には認識していたと認められる。以上によれば被告人両名にとり右防火戸及び防火区画の設置義務は建築基準法上の義務に止まらず刑法上の注意義務に該当するものというべきである。もつとも建築基準法により規定されている防火戸及び防火区画の詳細な技術基準や設置方法等につき専門的知識を有しない被告人両名がこれを認識していなかつたことは当然であるがこのことは右認定を妨げるものではない。

三  注意義務の懈怠

第二の二の1の注意義務につき同ホテルにおいて消防計画の作成及び避難誘導訓練の実施がなされたことは一度もなく、同2の注意義務についても当該防火戸及び防火区画が設置されていなかつたことは証拠上明らかであり、本件において右注意義務を履行するにつき特段支障となるべき事情も証拠上うかがわれず(証人小倉実の証言によれば、右防火戸及び防火区画の設置に要する費用は旧館一階と新館一階との接合部の防火戸の設置も含めて昭和五六年ころで約六〇〇万円であると認められ、同ホテルの経営規模からみて支出できない金額ではない。)被告人両名が右注意義務を懈怠したものと認められる。被告人雅代は当公判廷において、前記のとおり昭和五四年一二月一〇日ころの藤原町消防署による立入り検査時の指摘事項につき同被告人は原口及び出入りの大工香取久四郎と共に同ホテル内を見て回り、その際原口及び香取に防火戸及び防火区画の設置につき専門の業者に見積らせるよう指示した旨供述するけれども、証人原口、同香取の証言、同人の検察官に対する各供述調書によれば、同被告人は右防火戸及び防火区画の設置方を考えてみる程度の発言をしたにすぎなかつたものと認められ、右供述は信用できない。

四  注意義務の懈怠と本件死傷との因果関係

1前記第一の二の3のとおり、死傷した宿泊客及び従業員は、入浴中に火災発生を知り避難しようとして受傷した園部賢三及び田中の二名を除けばすべて旧館二階ないし四階にいた者(浴場から同階に戻つた者も含まれる。)である。右園部及び田中は火災発生を知つたものの従業員による適切な避難誘導がないまま自己の判断で避難しようとしたためそれぞれ負傷したのであるが、そのときには既に従業員は火災発生を覚知していたのであるから平素から同人らにおいて避難誘導訓練を受けておれば右両名を安全に避難させることができたものと認められ、右両名の負傷と右注意義務の懈怠との間には、明らかな因果関係を肯認することができる。次に旧館内の死傷者についてであるが、これらの者はすべて火元である浴場から発生した煙と火災(主として煙)が新館二階との連絡通路を経て旧館内の中央及び西側階段部分を昇り同館内に充満した結果、避難不可能となつたため死亡しあるいは受傷したものである。ところで証人神忠久の証言及び同人作成の「川治プリンスホテル火災時の宿泊客の避難行動」と題する論文(甲286の報告書に添付)、証人斉藤文春の証言及び同人作成の鑑定書を総合すれば、旧館二階と新館二階との連絡通路部分に煙感知器連動式甲種防火戸が設置されかつ旧館内の各階段部分が防火区画されていたとすれば少くとも右連絡通路に煙が達した後約三〇分間は旧館内に多量の煙及び火災が流入することを防ぐことができることが認められる。そして右挙示の証拠に、なお本件捜査時に行われた避難実験の結果(甲289、291、294の実況見分調書、報告書)をも加えて考察すれば、本件の宿泊客の大多数が老人客で、壮年者に比べれば行動の敏速性に欠けるのみならず、避難行動に移るにつき決断が遅く、またその気力が少ないこと等を充分参酌しても、右老人の特質ゆえに避難誘導にあたる者の存在が特に必要な条件ではあるが、右条件がみたされる限り、旧館内の宿泊客らはすべて中央ないし西側階段あるいは屋外非常階段等を使用して右の三〇分間で充分安全に館外に避難できると断定してよいと認められる。右事実によれば、第二の二の二個の注意義務が尽くされていた場合両者が相俟つて(一方だけでも足りると見る余地もないではないが確実ではない。両者が併用されれば確実である。)本件死傷の結果が発生しなかつたことは明らかであるから、右注意義務の懈怠と本件死傷との間に因果関係が存することを肯認することができる。

2なお、検察官は右の注意義務に加えて、屋外非常階段の階段の幅、けあげ寸法等を建築基準法の規格に適合させ避難に適する構造に改善すべき注意義務があつた旨主張するけれども、本件において旧館の死傷者は煙及び火災によりそもそも右非常階段に到達することができなかつたものであつて、右階段の不適格性の故に本件死傷の結果が発生したとは認められない(のみならず、仮に右の者らが非常階段によつて避難できる状況であつた場合、同階段が建築基準法に適合するよう改善されていた場合とそうでない場合とでどの程度避難の能否に差違が存するかも証拠上明確ではない。)のであるから、右注意義務違反と本件死傷との因果関係を認めることはできない。従つて、右階段の不適格の点は本件過失の認定から除外した。

3弁護人は第一の二の2の(二)のとおり本件火災当時使用できなかつたホテル内の消火栓が使用できたとすれば本件火災が鎮火されるかまたはフラッシュオーバーが大幅に遅延されて充分な避難時間を得ることができ、したがつて本件死傷の結果は大部分が回避できたから、前記認定の注意義務と本件死傷との因果関係が存しない旨主張し、これに副う半田隆作成の回答書及び意見書も存するけれども、前掲神、斉藤証言等及び斉藤文春作成の「回答書に対するコメント」と題する書面二通によれば本件火災はいわゆる小屋裏火災であつてフラッシュオーバーが起きるまで開口部はなく、その発見はもとより、消火も極めて困難であること、本件で消火作業に従事した従業員らはその大部分が消火作業の経験がなくまた本件火災に際し秩序立つた消火作業は行われていないことが認められ、かかる事実に照らして前記半田隆作成の書面の内容には採用し難い面があると言わざるを得ないのみならず、そもそも消火栓が使用できないという事態においてもなお本件死傷の結果発生を防止すべき注意義務は存するものというべきである。本件では、不幸にして初期消火に失敗したもので、その主たる原因は、前記小屋裏火災の特殊性にあると考えられるが、消火栓の不備も全く関係ないとは言えないかもしれない。しかしこのような場合にもなお死傷の結果、発生を回避する有効かつ実施可能な方策があつたといえるか否かが、まさに本件の問題なのであつて、この見地から考察した結果は、前認定の注意義務が尽くされておれば本件死傷の結果発生はなかつたと認められるのである。本件死傷の結果が、専ら消火栓の不備に起因するもので、判示認定の注意義務と本件死傷の結果との間に因果関係がないなどとは到底言い得ない。弁護人の主張は全く失当であり採用し得ない。

(法令の適用)

被告人両名の判示所為はいずれも各被害者ごとに刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右は一個の行為(過失)によるものであるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い大谷とくに対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、各所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人両名をいずれも禁錮二年六月に処し、情状により同法二五条一一項を適用して被告人小黒太平に対しこの裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予することとし、訴訟費用中証人萩原隆一に支給した分を除くその余を刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人両名に連帯して負担させることとする。

(量刑事情)

一既に判示したとおり、本件による死者は四五名、負傷者は二二名の多数にのぼり、旅館火災事故として稀に見る大惨事というべきである。その大部分は老人会の団体客であつて、老後の楽しみとして宿泊した旅館の防火防災態勢の不備の故に、火煙に包まれて生命を失い、或いは負傷するに至つたのであり、まことに同情を禁じ得ないとともに、本人はもとより家族等も含めて、その被害感情の深さも、察するに余りあるというべきである。老人会員以外の死者についても、事情は結局同様である。多数の人命を預る立場にありながら、防火防災に対する無関心からこのような結果を招いた被告人らの責任の重大性については、いまさら多くを論ずるまでもないところである。

二右のことを先ず念頭に置いた上で、以下に多少なりとも量刑に関係があると考えられる事情の主要なものについて、当裁判所の考え方を述べておくこととする。

(1)  旅館側の被告人らからみれば、工事人星が火を失しさえしなければ、本件の結果は発生しなかつたということができるし、逆に星の側からみれば、旅館の防災態勢がしつかりしていれば、このような大惨事には至らなかつたということになるのであつて、このような事情は相互に刑責を軽減する方向に働くものであることは否定できない。のみならず、星の失火との関係では、被告人らは被害者の立場にもあることも事実であつて、これを全く看過することは相当でない。

(2)  出火場所が、平素火気を使用しない温泉旅館の風呂場の屋根裏(小屋裏)という、従業員らの予想外の、しかも早期に、出火を確認することが容易でない場所であつたことも、不運であつたといえる。

(3)(イ)  火災警報装置は一応完備していて、本件火災時にも正常に作動したのに、これに対する渡邉会計課長らフロント従業員の対応は、まことに怠慢かつ不適切であつた。しかし、これは平素従業員の防災教育訓練を怠つていた被告人らの責に帰すべきところが大きく、また、出火場所の早期発見や消火が困難な前記小屋裏火災の特殊性に加えて、消火栓や消火器も使えず、従業員には客の避難誘導のことが殆ど念頭になかつたという本件の状況下においては、仮に右渡邉らが警報ベルに対して直ちに適切な対応をしたとしても、本件結果の発生を防止し得たとは思われない。

(ロ)  消火栓が結線ミスのため放水能力がなく、しかもテストをしてなかつたため、火災当時までこのことがわからなかつたことについては、たしかにその責任の大半は施工業者に帰せられるべきであろう。しかし、消火栓が使えたとしても、初期消火に成功したかどうかは甚だ疑問であることは、弁護人の主張に関連してさきに述べたとおりである。

(ハ)  しかしながら、いかに訓練を経ていないとはいえ、従業員らが警報ベルを頭から誤報ときめ込まずに火元の確認に努めるとともに、館内放送等により客に対し適切な情報を提供し、出火が確認されたのちは、フロントの中心人物である渡邉、着任早々とはいえ支配人であつた日根野らの臨機の判断による指揮のもとに、一部は客の誘導にあたり、一部は使用可能な消火栓等による消火作業にあたるということが、もう少し適切に行われたならば、これらが相まつて本件結果の発生を完全に防止し得ないまでも、相当程度死傷者の数を減ずることはできたのではないかとのうらみが残ることを否定できないのである。

(4)  昭和五四年一月以来本件火災直前まで支配人であつた原口は、消防計画、避難訓練等については自ら進んで企画・立案し、各種防災設備の整備についても、経営者の関心が薄いのならなおさらのこと、その必要性を強く進言すべき立場にあつたのに、同人のこの点についての仕事ぶりは極めて不充分であつたと認められる。支配人に人を得なかつたとの、被告人らの述懐は、ある程度理解できないものではない。

しかし、経営者たる被告人らは、支配人が怠慢ならばこれを督励して、なすべきことを行わせるべきなのであつて、被告人らは、原口が安心してすべてをまかせられる人物でないことを知悉していたのに、同人に対する指揮監督を極めて不充分にしか行つていなかつたことも亦明らかである。

(5)  被告人雅代の新館改築計画に際し、建築設計士日野正一が、その事情経緯はともあれ、防火設備の不完全な違法建築物を設計し、その実現に手を貸す形となつたことは、まことに遺憾というべきである。同人は専門家として、防災に知識関心の薄い被告人雅代に対し、その必要性を強力に説得すべきであつた。この点も本件の量刑にあたり、若干の考慮を要するところではある。しかし被告人ら殊に雅代は、以前から防火戸等の必要性を認識する機会はあつたのに、もともと日野に対しては、これらを完備した法規に適合する建物の設計を依頼したのではないのであるから、右日野の落ち度も被告人らの刑責を大きく軽減するものとはなし難い。

(6)  被告人らが、防火防災設備の必要性を知りながら、資金を惜しんでこれを実行しなかつたものか否かが、審理の過程で争われた。右設備の必要性を被告人らにおいて当然認識し得べきであつたことは、過失の成否に関し前述したとおりであるし、被告人太平はともかく、被告人雅代については、防火防災に資金をかけることを嫌う趣旨の言動があつたという、従業員や出入り業者らの証言が全くの虚偽であるとも考え難いのであるが、営業利益に直結しない出費はできるだけ抑えたいというのは、経営者として当然の発想ともいえるのであつて、右のような言動は結局防災対策の必要性についての認識不足から来るものと考えられる。(右認識が真に充分ならば、利益に直結しなくても出費を惜しむことはないであろう。)本件の根源として責められるべき本筋は右認識不足そのものなのであつて、出費を惜しんだのかどうかなどは、いわば枝葉末節の事がらというべきである。(経営困難で資金の工面ができないというほどの状況でなかつたことは明らかである。)

(7)  防災設備態勢の不充分な旅館は、少くとも本件当時においては、ひとり川治プリンスホテルのみではなかつたかもしれない。そもそも火災というものは、種々の不幸な偶然が重なつて起る、文字通り「万一」の事態であることが多いのであるから、「まさか自分のところに限つて……」という考えに傾きがちになるのは、ある程度自然の人情であるともいえよう。しかし「万一」に対する備えがなければ本件のような結果が生じ得ることも、経験の教えるところであり、その故に建築消防法規が具体的対策の基準を明示しているのであるから、備えを怠つて結果を発生させてしまつた以上、備えがないのは自分のところだけではないという弁解は、量刑上さほど大きな意味を持たないというべきである。(他はすべて完備しているのに被告人方のみが不備であつたという場合と全く差異がないという趣旨ではない。)

(8)  被害者側との示談は総額八億円余り(老人会員の死亡者については一人あたり一五〇〇万円、その他死亡者、負傷者については個別的事情に応じて合意決定、他に合同葬儀費用等をも含む。)で全員について成立している。事の性質上、これによつて被害者や遺族の感情が完全に癒やされたとは、もとより考えられないが、右の老人死亡者一人につき一五〇〇万円という額は必ずしも低額とはいえないし、火災保険金、傷害保険金等のほか、三億六千万円余の資産を処分し、二億円の借入をするなどして、右示談の資金を調達した被告人らの努力と誠意は、充分これを評価すべきものと考えられる。

(9)  被告人らは防火防災に無知無関心であつたことは、自己の不明であつたとして率直にこれを認め、反省の意を表している。

三以上のような諸般の事情を相応に勘案してもなお、当然なすべきことをなさず、その結果かくも多数の死傷者を生じさせた被告人らの責任は、まことに重大というほかない。

ここで被告人両名の責任の程度を比較すると、被告人雅代は、前判示のような事情から、本件旅館の経営を事実上殆ど一任された立場で、新館改築等も自己の発意によつて行い、日常旅館内に起居し、支配人等幹部従業員を常時指揮監督すべき立場にあつたもので、防災に無関心で客室の造作什器等にのみ力を注ぐという同被告人の経営姿勢が本件の結果を招いたものと見られ、本件の直接的かつ最高の責任者というべきである。被告人太平は、旅館の経営に熱意を失い被告人雅代に事実上まかせがちであつたからといつて、責任を免れるものでないことは既に述べたとおりであるけれども、ドライブイン関係の用務のため、旅館を留守にすることも多かつたという事情もあり、実質上経営の中心的存在であつた被告人雅代に比べれば、その刑責には若干の差等があると考えられる。

四以上を総合し、刑としては両名とも禁錮二年六月に処するを相当と認め、被告人雅代に対しては到底その執行を猶予する余地はないが、被告人太平に対しては、執行猶予を付するのが相当と判断した次第である。

(藤井登葵夫 畑中英明 松原正明)

別紙(二) 死亡者一覧表〈省略〉

別紙(三) 負傷者一覧表〈省略〉

別紙(一)

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